【主張】俳優は労基法の労働者か
東京高裁がエアースタジオ事件で、劇団の演劇公演に出演する俳優を一律に労働基準法上の「労働者」と認定し、稽古や公演時間に対応した時間給を支払うよう命じた判決は不適切といわざるを得ない(9月21日号3面既報)。
雇用関係にある労働者とされれば解雇権濫用法理の適用となり、結果的に劇団として広く公演参加を募ることができなくなる。俳優を志望する若者の芽を摘んでしまう恐れがあろう。厚生労働省の通達は「芸能タレント」への報酬は稼働時間で定められていないとして、労働者ではないとしている。
劇団員は表舞台に立つことを望んで、自ら進んで稽古や公演に出ている。なかには、所属料を支払ってまで劇団に入団し、俳優を志す者もいる。一審の東京地裁が指摘しているとおり、講演の裏方業務やそれに一時的に従事した時間については時間給が発生するとしても、俳優などとして稽古や公演した時間に同様の賃金が発生するという理屈には無理がある。
厚労省の昭和63年通達では、歌唱や演技などが基本的に他人によって代替できず、芸術性、人気などの個性が重要な要素となっている場合は、雇用契約でない限り労働者とはいえないと解説している。稽古、出演などのスケジュールの関係から時間的な制約を受けるのは、労働者でなくても当然のことである。
俳優への報酬も稼働時間に対応した時間給ではないことは明らかである。しかし、東京高裁は、稽古1日6時間、講演本番1時間30分を一律に労働時間とみなして、185万円ほどの未払い賃金支払いを命じたという。講演料が入る本番も稽古時間も同一労働としている点も問題がある。劇団員自身の多くが、違和感を覚える判決だろう。
近年、経営が厳しいといわれる劇団運営にも影を落としかねないばかりか、広く参加を募る公演が縮小することになれば、俳優をめざす若者の志を摘むことになる。劇団の指示を受けて稽古や演技することを、使用者による指揮命令と同視して労働者と即断するのは、演劇文化全体に悪影響を及ぼしかねない。