【想いはせれば】第152回 総括安全衛生管理者のYさん

2021.04.12 【安全スタッフ】
  • list
  • クリップしました

    クリップを外しました

    これ以上クリップできません

    クリップ数が上限数の100に達しているため、クリップできませんでした。クリップ数を減らしてから再度クリップ願います。

    マイクリップ一覧へ

    申し訳ございません

    クリップの操作を受け付けることができませんでした。しばらく時間をおいてから再度お試し願います。

▶昭和40年代後半(1972年ごろ)、Yさんは常駐業者を含め約1500人の化学工場の工場長で、私はその工場の安全衛生スタッフの一人でした。私はそれまで、安全衛生のスタッフとして3人の工場長に仕えてきましたが、それぞれにトップ管理者として、また人格的にも立派な人たちでした。

 昭和30年後半から40年代は、わが国の労働災害は、現在の数倍にも及んでいました。当工場でも例外ではなく、労災事故や公害事故が頻発していました。

▶Yさんが工場長になった昭和47年、労働安全衛生法が制定され、工場長は総括安全衛生管理者であり安全衛生委員会の委員長として、これまでの労働基準法に比べ、強い責務と権限が付与されました。

 当時工場エリアには、本社機構の部署や研究所があり、それぞれ工場とは別組織で本社の役員もいましたが、…

執筆:セフテイレビュー 代表 末松 清志

この記事の全文は、安全スタッフの定期購読者様のみご覧いただけます。
▶定期購読のご案内はこちら

安全スタッフ電子版へログイン

安全スタッフ電子版は安全スタッフ購読者専用のサービスです。

詳しくは労働新聞・安全スタッフ電子版のご案内をご覧ください。

この連載を見る:
2021年4月15日第2376号 掲載
  • 広告
  • 広告

あわせて読みたい

ページトップ
 

ご利用いただけない機能です


ご利用いただけません。