【産業カウンセリングの現場から】第22回 震災直後に被災地で相談
3日目に現実を知る
3月11日私は、社会福祉協議会のデイサービスセンターのスタッフとして勤務していました。その日は、2時から地域の民謡クラブの慰問があり、さあ待ちに待ったおやつの時間という矢先、地震が起きました。最初は、いつもの軽い地震と思い、慌てもせず、時間がたてばおさまるだろうと安易に思っておりました。しかし、その日の地震は、おさまらない。1分経過したころ、「今回の地震は長すぎる!おかしい!危ない!」とスタッフは騒ぎ出しました。至るところから、メリメリという音。ガチャーンとガラスの割れる音。悲鳴。そしてついに停電。ライフライン全てが止まり、周囲はざわめき、いままで経験したことのない不安がつのりました。
上司の命令で、早めに利用者さんを自宅に送る準備にかかり、私も送迎バスに乗り込みました。移動中、商店街のガラスは割れ、瓦が路上に散乱し、地面は地割。今、思うと、被災しなかったのが不思議なくらいです。思い出しただけでぞっとします。
利用者さんを送り終わった後、私は、家に残してきた義母と、愛犬が急に心配になり、余震が続くなか、一目散に帰路を急ぎました。午後4時半くらいだったと思います。薄暗い家の中に犬を抱いた義母が寒さに震えながら茶の間のソファーに座っていました。幸い我が家は、薪ストーブだったため、暖をとるには、不便がなかったはずでしたが、困ったのは停電で水道ポンプが使えないため、吸い上げポンプが動かず、水が使えません。太陽光の発電機はつけていても蓄電していなかったため、それも使えません。電話もテレビも通じません。東京在住の息子から深夜に、やっと携帯がつながり、「岩手、気仙沼、津波と火事で、とんでもないことになってるけど大丈夫か?」との安否確認の連絡がありました。とんでもないことになっているのが分かったのは、その知らせが最初でした。…
執筆:岩手産業保健推進センター メンタルヘルス対策支援センター メンタルヘルス促進員 菊地 優子
この記事の全文は、安全スタッフの定期購読者様のみご覧いただけます。
▶定期購読のご案内はこちら