【トップ&キーマンいんたびゅう】「ゼロ災」との出会いで経営思想一転
2012.09.15
【安全スタッフ】
空調用付属機器メーカーの野口敬志社長、50歳。バブル崩壊で瀕死の状態に陥ったアステム社を短納期徹底の戦術によって立て直したが、あるショッキングな出来事と“ゼロ災運動”との出会いから「従業員満足度優先」に転じ、さらなる業績アップにつなげている。猛烈ワンマン社長が「従業員こそ会社を支えるカケガエノナイ存在」と思うに至った経緯を伺った。
――バブル崩壊後の社長就任だそうですが、そのときの事情は?
野口 父親が創業した川崎市の本社が平成7年に倒産し、別法人だった製造工場(宮城・角田市)だけが取引停止を免れ、当時33歳で営業担当だった私が後を継ぐことになりました。これは、そのころ相次いで急逝・病死した弟と母親の遺志、遺言を受けてのものです。とはいっても、資金調達もままならない状態でしたから最初は会社の身売りを考えたほどだったんですよ。…
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平成24年9月15日第2170号 掲載