【歴史と事例から学ぶ!賃金制度設計】第3回 仕事給導入の歴史 頑張りにどう報いるか 葛藤の末「職能給」が登場/西村 純
2022.08.12
【労働新聞】
50年代に職務給を模索
タイトルにある「仕事給」とは、就労条件総合調査の定義に従うと、年齢や勤続などの属人的な要素以外(たとえば職務や職能)で決まる賃金のことを指している。連載の第3回目は、第1回目から続くイントロダクションの最後として、「仕事給」の導入の歴史を振り返ることで、日本の賃金決定の特徴を考えてみたい。
「Job型」という言葉に見られるように、近年、「職務」に対する関心が高まっている。しかし、これまでも「職務」の要素を賃金制度に取り込もうとする試みは行われてきた。1946年に提唱された電産型賃金体系によって、基準労働賃金と基準外労働賃金の区別、基準労働賃金における高い基本給比率など、現在の賃金体系の骨子が整備された。その後の賃金制度改訂は、過去に形成された年功賃金カーブを前提としつつ、あるべき「仕事給」の確立への模索であったと言える。その意味では、今の試みは、過去から連綿と続いてきた挑戦の1つとみることもできる。
戦後、50年代には「職務給」導入の模索が始まっている。「同一労働同一賃金」の実現、生産性向上などの用語とセットで、「職務給」導入の必要性が謳われていた。ここで注目したいのは、この当時の経営側にあった葛藤である。…
筆者:労働政策研究・研修機構 副主任研究員 西村 純
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令和4年8月15日第3365号11面 掲載