【人事労務50年の裏表―わが山河は美しかったか―】年金改革と北京ダック事件/梅本 迪夫
2017.03.20
【労働新聞】
筆者が勤務していた三井石油化学の定年は、1963年から60歳であった。同時に設定された年金は、当時では高額な月額2万円であった(労使折半の10年保証・終身支給の適格年金)。
1970年代に入り、わが国の高齢化は急速に進展し、社員の老後生活を支える年金の充実が求められるようになった。一方、会社としても高度成長期を通じて大量採用した社員に支払う退職一時金が膨大な額になり、平準化が急務であった。
課題解決に向け、1972年には労使の委員からなる年金委員会が設置された…
筆者:梅本人事総合コンサルティング 代表 梅本 迪夫
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平成29年3月20日第3105号7面 掲載