【トップ&キーマンいんたびゅう】職人さんもケガで仕事を失くさない覚悟を
2017.07.11
【安全スタッフ】
高校野球"夏の甲子園大会"において中京高校のエースとして観客を沸かせた野中徹博さん。プロ入り後はケガと病気に苦しみ波乱に満ちた野球人生を送ることになったが、現在は全国展開する看板メーカーにあって安全推進に全力投球の日々である。来し方を振り返りながら今に生きる野中さんならではの"安全訓"を語ってもらった。
――野中さんといえば、高校野球ファンには昭和58年夏の池田高校・水野雄仁投手との投げ合いが長く記憶されています。が、ドラフト1位指名でプロ野球(阪急)に入ってからは肩の故障と病気が原因で5年後に現役を引退。いったんは野球と無縁の仕事に就いたものの4年後に台湾のプロ球団に転じて活躍。それを機に日本の球界に復帰し中日、ヤクルトのピッチャーとして5年間投げ、初勝利もあげています。また、2度目の引退後の履歴を拝見すると、社会人野球の選手兼監督を務めたほか、調査会社経営とか下水管の調査員など様ざまな仕事に就かれて正に波乱万丈の感があります。現在の会社にはいつから……。…
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平成29年7月15日第2286号 掲載