【安全衛生眺めてみれば】第7回 集団就職列車の少年たち
2024.03.27
【安全スタッフ】
昭和40年代の初め、中卒者の進学率は60%程度で、進学をしない残りの40%は故郷を離れ、工業地帯に就職するのが普通でした。毎年、集団就職列車に乗って駅に降り、不安そうな表情をしている幼い彼らの光景が、当時の春先の風物詩でした。監督官としての私の初任地の浜松も、このような少年、少女たちを多数受け入れていました。
浜松には大小の下請工場が軒を並べていましたが、ここでは鉄片を切り、曲げ、絞るプレス機械が多数使われていました。最も典型的なものは、パワープレスでした。このプレス機は腰ぐらいの高さのテーブルに鋼鉄製の下の金型が設置してあり、その上方には上下にピストン運動をする棒状の装置があり、その下方に鋼鉄製の上の金型が取り付けられています。またプレス機の側方には巨大な鉄製のフライホイールが常時回転しており、…
執筆:一般社団法人 労務安全監査センター 代表理事 東内 一明
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2024年4月1日第2447号 掲載