【特別寄稿】斯界の権威から 本誌3000号に寄せて
専門的洞察力に期待/東京大学名誉教授 菅野 和夫
「労働新聞」3000号おめでとうございます。愛読者の一人として心からお祝い申し上げます。60年を超えて変遷する労働社会と共に歩まれてきたことに、心から敬意を表します。
現在、労働政策は政府の成長戦略の重要な柱となり、労働立法のラッシュが続いています。全員参加型社会、女性の活用、失業なき労働移動、春闘賃上げの継続、地域の雇用開発等々、労働政策の大きな標語も目白押しです。有期労働契約、労働者派遣、労働時間、解雇等々の困難なテーマに関する制度論議も盛んです。日本的経営・日本的雇用システムを変えるべきだ、いや既に変わっているといった議論も行われています。
まさしくニュースで溢れる時代ですが、残念ながら一般紙では十分には報道されません。制度内容を誤解した論説、ステレオタイプの見方、政策方向のミスリードなどもみられます。「労働新聞」には真の専門紙として的確で信頼のできる情報提供をお願いします。正確な情報を蒐集し、専門的洞察力に基づいた分析を行っていただきたいと思います。
「奴雁」の役割を担え/慶応義塾塾長 清家 篤
「労働新聞」3000号まことにおめでとう存じます。私自身もいつも紙面を楽しみに愛読し多くの示唆を得ております。日本の雇用と労働市場の質を高めるための言論機関として、大きな貢献をされてきたことに、改めて深い敬意を表するものであります。
福澤諭吉は学者は国の奴雁たるべしと言っています。奴雁とは雁の群れが一心に餌を啄ばんでいるときに一羽首を高く揚げて周囲を見渡し難にそなえる番をする雁を言うそうで、学者もまた奴雁のように世の中の人が時勢に流されているようなときに、一人歴史を顧み、現状を冷静に分析し将来のために何をなすべきかを考えるべきということです。
ここで福澤は学者と言っていますが、およそそれぞれの分野での専門家は、時流に流されやすい世人とは異なる長期的な視点を持って、物事を考えるべきでしょう。「労働新聞」もまた労働に関する奴雁の役割を担い、またそうした視点を持つ専門家たちに発言の機会を与えてこられました。これからも益々その役割に期待してお祝いの言葉とします。
100周年の長寿めざせ/弁護士 高井 伸夫
3000号の発行まことにおめでとうございます。この価値ある実績を、私は周りの方々に声を大にして披露したいと思います。週刊の業界専門紙で3000号達成とは、大変な数字です。世に「三号雑誌」という言葉があるように、出版を続けることは非常に難しい事業なのです。この偉業は、関係者の皆さんが創刊以来約60年間にわたり真摯に発行を重ねてこられた結果ということでしょう。まさに「継続は力なり」です。
私が「労働新聞」とのご縁を得たのはいまから40年ほど前、昭和49年のこと。「労働判例分析シリーズ」に書いた「就業規則/解雇条項めぐる問題」(1054~1058号の全5回連載)が、最初の原稿でした。当時私は37歳、前年の1月に孫田・高梨法律事務所から独立して事務所を開設したばかりの頃で、裁判例を読者に分かりやすく伝えるために何度も推敲を重ねた記憶があります。爾来、有り難いことにおつき合いが連綿と続いています。創刊5000号、100周年の長寿企業をめざし一層ご奮闘ください。大いに期待しております。
多くの専門家が活用/人材賃金問題専門家 楠田 丘
経営、人事、労務の専門紙として輝かしい機能と成果を果たし続けている「労働新聞」にお祝いと一層の発展を祈って、感謝・激励の言葉を一言述べさせていただきます。
私にとって特に印象的、効果的だったのは、毎年の春闘や人材政策に向けての労使の姿勢と実際の対応が日本の経済・社会に及ぼした影響の細かい実態と分析にかかわる情報を「労働新聞」がキメ細かく素早く与えてくださった点でした。それは私のみではなく、多くの座談会、討論会で議論を交わした専門家の皆様や学者も同様であった。
さて、これからの「労働新聞」への期待にも触れておこう。
戦後を振り返ると、生活能力・労働能力主義を経て欧米から入ってきた成果主義、実力主義の歴史を細かく踏まえ、高齢化への対応(年金の充実、賃金カーブの修正)や安定かつ柔軟な雇用システムの整備(定年制廃止)、ワーク・ライフ・バランス、自己啓発などといった輝かしい明日の日本をめざす労使のあり方についても一層のご支援をお願いしたい。
「専門記者魂」承継を/弁護士 安西 愈
昔の「労働新聞」には、〝労働記者魂〟が横溢していた。当時、労働省内の専門紙の記者は第2記者クラブに集結し、その中でも「労働新聞」は特に感覚が鋭かった。私が労働省労働基準局監督課に在籍中は「労働新聞」は鬼門であった。「労働新聞」の記者が来ると、我われは記者に見られてはまずい文書や資料は隠したもの。「労働新聞」は極秘としている司法処理基準や監督要領を素っ破抜いて掲載するからで、読者にはこれが売り物で人気があった。
行政としては、秘密文書が抜かれたわけで、担当記者と編集者を呼んで始末書や誓約書をとる。それでもへこたれないでまたやってくる。
3000号を迎える「労働新聞」は専門紙が〝討ち死に〟した中で独自の取材記事を掲載し、生きた労働社会と行政の動向を伝え読者に大いに役立っている。時代の先を読んだ鋭い連載は、時に昔のように厚生労働省からお叱りを受けたとも聞いている。私としては最近、影が薄くなった感じのある「労働記者」魂を蘇らせ、その承継と発展を願うものである。