【産業カウンセリングの現場から】第81回 従業員の健康は誰のもの?
2014.10.01
【安全スタッフ】
メンタル・ヘルス研究所誕生
戦後日本の高度経済成長期(1954-1973)はオイルショックによりその終焉を迎え、右肩上がりを前提とした産業経済は安定成長期に入ることになる。折しもローマクラブが「成長の限界」を発表し、地球資源が有限であることと人類の成長に限界があることとの警鐘を鳴らしたのが1972年。ILOが戦後の世界経済発展の陰で見失いかけた労働の意味を問い直し、労働条件の改善を求める「労働の人間化」を提唱したのもこの頃である。
わが国においても高度経済成長期は望まずながら公害や労災などの弊害をもたらした。労働災害は年を経るごとに増加の一途をたどり1961年に労災死亡者数は6712人を数え、以後減少に転じたものの1973年まで年間5000人を下回ることはなかった。こうした時代変化にあって、経済成長が単なる量的拡大を目指すだけではなく、労働安全衛生はもとより環境問題や人間の福祉、さらには…
執筆:(公財)日本生産性本部 メンタル・ヘルス研究所 研究主幹
日本産業カウンセリング学会 理事 根本 忠一
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平成26年10月1日第2219号 掲載