【国土を脅かす地震と噴火】3 東日本大震災 想定を越えた自然の力/伊藤 和明

2018.01.29 【労働新聞】
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10メートルの堤防も乗り越える
イラスト 吉川 泰生

 2011年3月11日、東日本大震災を招いた「東北地方太平洋沖地震」は、M9.0と、日本で近代的な地震観測が始まってからは、最大規模の超巨大地震であった。地震発生とともに、想像を絶するほどの大津波が沿岸各地を襲い、壊滅的な災害をもたらしたのである。

 この超巨大地震は、従来想定されていた6つの震源域が、次々と連動して断層破壊を起こしたもので、破壊された断層の面積は、南北約500キロ、東西約200キロに及んでいる。

 津波の波高は、高い所では10~15メートルに達した。また、岩手県宮古市の重茂姉吉地区では、40.4メートルという観測史上最大の遡上高を記録している。

 総務省消防庁によれば、17年9月8日時点で、死者1万9575人、行方不明者2577人となっている。犠牲者の90%以上が、津波による水死であった。

 三陸沿岸の各地には、津波に備えるための堤防が整備されていたが、それらのほとんどが破壊されてしまった。釜石市では、水深63メートルから立ち上げた防波堤が町を守っていたが、津波によって押し倒されてしまった。大船渡市では、1960年のチリ地震津波災害を受けて築造された湾口防波堤も破壊された。

 宮古市田老地区では、日本一ともいわれていた二重の防潮堤(高さ10メートル、総延長2.4キロ)を、津波はやすやすと乗り越えて町を洗い、180人余りの犠牲者が出た。防潮堤に信頼を寄せていたために、逃げ遅れた住民も少なくない。

 津波の襲来とともに、各地で火災が発生した。消防庁によると、その数は、東北から関東にかけて325件とされている。なかでも、岩手県山田町、宮城県気仙沼市、石巻市、名取市などでは、広域的な火災となった。

 気仙沼市の場合、湾岸に立地していた石油タンクが、地震や津波によって破壊され、油をまき散らしながら流された。このため、海面に漂う油に着火して、文字どおり“火の海”となってしまった。それが、津波で流されてきた大量の瓦礫にも延焼し、湾の奥まで運ばれ、市街地に燃え移ったものと考えられている。

 津波火災の事例は、過去にも複数知られている。33年の昭和三陸津波の時には、当時の釜石町や田老村で火災が発生しているし、93年北海道南西沖地震では、津波に洗われた奥尻町で広域火災が発生した。

 津波が火災を招くことがあるという事実は、防災上重要な視点なのである。とりわけ石油タンクが林立しているコンビナートなどは、その危険性を常に潜在させているといえよう。

 東日本大震災が発生したとき、“想定外”という言葉が乱れ飛んだ。しかし、よく考えてみると、“想定”とは、人間が自然現象に対して、勝手に“枠”をはめたものである。当然のことながら、自然がその枠を越えるような力を発揮することは決して珍しくない。

 それゆえ、東日本大震災は、私たちが将来に向けて、地球の自然といかに共生していくのかが問われた災害だったと位置付けることができよう。

筆者:NPO法人防災情報機構 会長 元NHK解説委員 伊藤 和明

この連載を見る:
平成30年1月29日第3146号7面 掲載
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