【国土を脅かす地震と噴火】24 善光寺地震㊦ 山崩れから大洪水が発生/伊藤 和明

2018.06.28 【労働新聞】
  • list
  • クリップしました

    クリップを外しました

    これ以上クリップできません

    クリップ数が上限数の100に達しているため、クリップできませんでした。クリップ数を減らしてから再度クリップ願います。

    マイクリップ一覧へ

    申し訳ございません

    クリップの操作を受け付けることができませんでした。しばらく時間をおいてから再度お試し願います。

生死を分けた避難指示
イラスト 吉川 泰生

 1847年の善光寺地震による被害は、家屋の倒壊や火災だけに留まらなかった。山地の各所で、無数の地すべりや山崩れが発生したのである。その数は、松代領だけでも4万カ所を超えたといわれる。したがって善光寺地震は、壊滅的な都市災害とともに、大規模な山地災害をもたらした地震として位置付けることができる。

 善光寺地震による山崩れは、主に善光寺平の西方に当たる山地に集中し、とくに犀川やその支流の土尻川、裾花川に沿う斜面で多く発生した。

 松代領内で発生した無数の山崩れのうち、最も規模の大きかったのは、犀川(さいがわ)の右岸に当たる虚空蔵(こくぞう)山(現・岩倉山、標高764メートル)の大崩壊であった。地震の衝撃で、虚空蔵山は南西と北西の斜面2カ所で大崩壊を起こし、犀川の流れを堰き止めてしまった。堰き止め土砂量は2千万立方メートル以上、高さは約65メートルに達したと推定されている。この崩壊によって、2つの集落、38世帯が土砂の下に埋まった。

 当然のことながら、堰き止め部の上流側には水が溜まっていく。折から雪どけの季節で、北アルプスの山々の雪を融かした水は、安曇野に集まり、犀川へと入っていく。そのため、堰き止め部から上流の水位は、急速に上昇し始めた。その後も日ごとに水位は上がり、川沿いの村々は、次々と水底に沈んでいった。犀川は細長い湖に変わり、谷筋に沿う長さは約23キロにも達し、約30カ村が水没したという。

 犀川が堰き止められたために、そこから下流へは水が流れなくなってしまった。善光寺平では、川の水がほとんど干上がり、水溜まりでは鯉や鱒のつかみ取りができたという。この異変に、川中島を始めとする周辺の村々は大騒ぎになった。もし犀川の堰き止め部が決壊すれば、濁流が善光寺平をひと呑みにすることは疑いない。

 この事態に直面して松代藩は、いち早く警告を発し、「直ちに山手の方へ避難するように」とのお触れを出し、善光寺平の住民を避難させた。さらに、犀川の堰き止め部を見下ろせる山の上に見張りを立て、もし決壊すれば、ただちに狼煙を上げて急を知らせる体制を整えたのである。二次災害に備えた見事な危機管理を実施したといえよう。

 地震から19日を経た5月27日の夕刻、ついに堰き止め部は大音響とともに決壊した。大量の土石をまじえた激流は、凄まじい勢いで善光寺平へと迸り出て、4時間以上も荒れ狂った。川中島を呑みこみ、千曲川と合流してからも、川沿いの村々をなめつくし、飯山の辺りまで水害を押し広げていった。

 住民の大多数が避難していたとはいえ、100人あまりが洪水の犠牲になった。避難の指示に従わなかった者や、いったんは避難したものの、避難生活の長期化に耐えきれず、村へ戻っていた者などであった。

 このように善光寺地震は、地震動そのものによる災害や火災もさることながら、地震に誘発された土砂崩壊と河川の閉塞、天然ダムの決壊による大洪水の発生という一連の過程を辿った災害として、後生にその名を留めている。

筆者:NPO法人防災情報機構 会長 元NHK解説委員 伊藤 和明

〈記事一覧〉
【国土を脅かす地震と噴火】23 善光寺地震㊤ 火災からの生存者は1割/伊藤 和明
【国土を脅かす地震と噴火】24 善光寺地震㊦ 山崩れから大洪水が発生/伊藤 和明

この連載を見る:
平成30年7月2日第3167号7面 掲載
  • 広告
  • 広告

あわせて読みたい

ページトップ
 

ご利用いただけない機能です


ご利用いただけません。