【国土を脅かす地震と噴火】36 明治三陸地震津波㊦ 犠牲者2万人超で最悪に/伊藤 和明
1896年6月15日の大津波の当日、岩手県重茂(おもえ)村の漁師4人は沖へ漁に出ていて、津波が村を襲ったことを知らなかった。日が暮れたので、4人は帰港するため、暗闇のなかを岸に向かって漕いでいると、家々の残骸が次々と流れてくるばかりか、海面のここかしこで人声がする。
「さては、かねがね聞いている船幽霊に違いない」と思い、一同じっと声をひそめていた。
一方、海上を漂っている人々は、大声を上げて船に助けを求めていた。だが、全く反応がない。そのうちに、漂流している人々のなかから「俺は助役の山崎だぞ!」という声が聞こえた。船上の漁師たちもようやく異変に気付き、救助を始めたという。
恐怖の一夜が明けたとき、人々の眼前には、すっかり変わり果てた村々の姿が広がっていた。前日まで軒を連ねていた集落の跡には、家々の土台石だけが残っていて、家屋は跡形もなく流失していた。浜は家々の残骸で埋まり、遺体が散乱していた。海に浮かぶ無数の遺体を、地引き網を使い引き上げたという。この大津波による死者・行方不明者の数は、約2万2000人とされており、日本の歴史上、最大の犠牲者を出した津波災害であった。
前回述べたように、この大津波をもたらした地震の揺れは弱かった。そのため、沿岸住民はゆるやかな地震動を感じていたが、津波の襲来を予想した人はほとんどいなかったのである。
このように、地震の揺れが弱くても、大津波だけを発生させるタイプの地震は、“津波地震”と呼ばれている。
そもそも津波という現象は、海底下の地震によって、海底の地形が隆起したり沈降したりすると、その変動が生き写しに海面に伝わり、そこが津波の波源となって四方八方へと伝播していくものである。このとき、地震を発生させる海底下の断層破壊が急速に起きれば、陸上では強い地震の揺れを感じることになる。
しかし時によっては、断層破壊がゆっくりと時間をかけて進行することがある。この場合、陸上では強い揺れを感じることはない。しかし、このような地震が発生しても、破壊した断層面の面積は急速な破壊が起きた時と変わらない。このため、海底地形は、ゆっくりとではあるが同じように変動し、津波も同じように発生することになる。これが津波地震の発生する仕組みである。断層がヌルヌルと動くので、“ヌルヌル地震”ともいわれている。
「地震の揺れが弱くても、大津波の来ることがある」という現実は、防災上極めて重要な視点である。過去100年ほどの間に日本の沿岸を襲った津波のうち、約10%は津波地震によるものだったという指摘もある。
津波地震は、津波を予報する上でも厄介な問題である。気象庁では、ヌルヌルと起きる地震が発する長周期の地震波を、いち早く捉えて津波予報に結び付けるための技術開発を進めている。また、沿岸住民も、揺れは弱くても、ゆらゆらとした奇妙な地震を感じたなら、津波の襲来を予想して避難行動に結び付ける意識が大切であろう。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明
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