【国土を脅かす地震と噴火】43 関東大震災① 強烈だった2度目の余震/伊藤 和明
南関東一円に大災害をもたらし、10万5000人あまりという日本の歴史上最大の犠牲者を出した関東地震(M7.9)が発生したのは、1923年(大正12年)9月1日であった。この日が「防災の日」と定められていることは、周知のとおりである。
9月1日正午直前の11時58分32秒、相模湾の海底下で、突然岩盤の破壊が始まった。大地震が発生したのである。12秒後の11時58分44秒、東京の中央気象台と東京帝国大学地震学教室に設置されていた地震計の針が、この地震を記録し始めた。数秒後、針の動きは急激となり、一段と激しさを増す震動によって、ついに地震計の針は振り切れて飛び散ってしまった。
この地震は、相模トラフで発生した海溝型の巨大地震であった。相模トラフは、相模湾の海底を北西~南東方向に延びる海底の窪みで、水深は1000~3000メートルに及ぶ。ここでは、北進してきたフィリピン海プレートが、年間約4センチの速さで、東日本の陸地を乗せている北米プレートの下に沈み込んでいる。
フィリピン海プレートと北米プレートとの接触面には、固着している部分がある。そこには徐々に歪みが蓄積していく。やがてその歪みが限界に達すると、固着部が一気に剥がれてずれ動く。このとき、大規模な断層破壊が起こり、プレート境界の大地震が発生するのである。
このような仕組みで相模トラフでは、昔から繰り返し巨大地震が発生してきた。1923年関東地震の1つ前の巨大地震は、1703年(元禄16年)に発生した元禄地震である。それから220年を経て発生したのが、大正の関東地震であった。
関東地震の震源域は、広く南関東の地下を覆い、震源断層の大きさは、長さ約130キロ、幅約70キロにも及んでいる。東京や横浜などで関東地震を体験した人の手記や体験談によると、強い揺れが3回襲ってきたという。とくに2回目の揺れは、かなり強かった。
地球物理学者であり随筆家としても名高い寺田寅彦は、上野の美術館で地震に遭遇した。その日の日記には、「……話をして居る内に地震がやつて来た。中々大きいなと思つて見て居た。多くの人は便所の口から出てしまつた。しばらくして又大きいのが来たので、みんな残らず出た」と書かれている。このほか、小説家の田山花袋など多くの人が、強い揺れが3回襲ってきて、とくに2回目の揺れは立っていられない程だったと述べている。
これら3回の大揺れのうち、最初の揺れは本震によるものだが、あとの2回は、かなり規模の大きな余震が引き起こしたものと考えられている。
その後の解析により、2回目の大揺れをもたらした余震の発生は12時1分ごろで、震源地は東京湾北部、規模はM7.2、3回目の揺れをもたらした余震は、12時3分ごろに発生し、震源地は山梨県東部、規模はM7.3と推定された。これら2つの余震を含め、M7.0を超える余震は、全部で6個発生したことが分かっている。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明
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