【国土を脅かす地震と噴火】46 関東大震災④ 乗客だけ土砂から逃れる/伊藤 和明
関東大震災は、東京や横浜での大規模な都市火災が際立っているため、地震とともに発生した大津波や、山地の各所で起きた山崩れなどについては、あまり注目が集まっていない。しかし、現実に相模湾沿岸には大津波が襲来しているし、箱根や丹沢山地では土砂崩れが多発している。
関東地震は海域で起きた巨大地震だったから、当然のことながら大津波が発生した。津波は伊豆半島東岸から相模湾沿岸一帯、さらには房総半島の南岸までをも襲った。
熱海には地震発生から約5分後に津波が襲来し、湾奥で波高12メートルとなり、50戸ほどが流失した。伊東でも、9メートルの津波によって300戸あまりが流された。伊豆大島の岡田港にも12メートル、房総半島南端の相浜でも9メートルの津波が襲来している。鎌倉や逗子では、5~6メートルの津波によって多数の家屋が流失し、海岸にあった別荘のほとんどが流されたという。
9月1日といえば、まだ夏の延長だったから、海岸には多くの海水浴客がいた。『神奈川県史』によると、由比ヶ浜の海水浴場にいた約100人と、江の島の桟橋を渡っていた約50人が津波の犠牲になったといわれる。
一方、激震に見舞われた南関東では、山崩れや崖崩れが多発した。横浜や横須賀では集落の背後にある急斜面が崩れ、多数の家屋が押しつぶされた。丹沢山地では無数の崩壊が発生したため、山容は一面に白い地肌をむき出しにした荒々しい姿に変わってしまった。
地震とともに発生した土砂災害のなかで最も大規模かつ悲惨だったのは、片浦村根府川地区を襲った岩なだれによる集落の埋没である。激震によって箱根外輪山の一角をなす大洞山が大崩壊を起こし、崩壊した山の部分が、巨大な岩なだれとなって白絲川の谷を流下、根府川の集落を埋没してしまった。当時、根府川の集落は白絲川の谷筋にあったため、岩なだれに呑みこまれて64戸が埋没し、406人の犠牲が出た。岩なだれは、大洞山の崩壊地点から約5分のうちに4キロ下流の集落に到達したというから、流下速度は時速約50キロに達したことになる。
岩なだれの直撃を受けて、熱海線(現在の東海道線)の根府川鉄橋も海中に飛ばされてしまった。折しも上り列車が鉄橋に差しかかっていたが、激しい地震の揺れを感じた運転士が、鉄橋直前のトンネルを抜け出たところで列車を止めた。そのため、トンネルから出ていた機関車だけが土砂に巻きこまれて機関士と火夫の2人が犠牲になったものの、客車はまだトンネル内に残っていたため、乗客は危うく難を逃れることができたのである。
また、このとき根府川駅には下り列車が停車していた。そこへ激震とともに、すぐ背後の崖が崩れて大量の土砂が列車に襲いかかり、乗客約200人と、ホームで上り列車を待っていた約40人が、列車もろとも45メートルの崖下に転落してしまった。そこへさらに海から津波が襲ってきたのである。辛うじて岸に泳ぎ着き、斜面を這い上がって助かった人を除いて、約200人が犠牲になったといわれている。
筆者:元・NHK解説委員 NPO法人 防災情報機構 会長 伊藤 和明
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