【国土を脅かす地震と噴火】48 十勝岳噴火㊦ 融雪泥流氾濫し荒れ狂う/伊藤 和明
5月の十勝岳の山頂部は、まだ厚い残雪に覆われている。噴火とともに発生した高温の岩なだれは、その熱で積雪を急速に融かし、大規模な泥流を発生させた。泥流はたちまち火口から2キロあまり離れた元山事務所を襲い、建物を流失させてしまった。辛うじて難を逃れた人の話によると、激しい爆発音を聞いて外に飛び出し山頂の方をみると、黒煙の立ち上るのがみえたが、まもなく泥流が襲来して事務所をさらっていったという。
このときの状況について、渡辺万次郎の『十勝岳爆発調査報文』には、「新爆発孔と覚ゆる方向に、更に一層濃厚な団煙が斜上方に迸出し、その先端は渦をなして却て谷を奔下せり。此団煙が坑夫長屋の東を護れる一小丘陵を越え、その直ぐ前に殺到せる時は既に一大濁流に変じ――」と記されている。瞬時に襲いかかってきた泥流によって、大半の鉱夫は避難するいとまもなく、25人が犠牲になったのである。
高温の岩なだれが北西斜面を広く覆った結果、たちまち山腹の積雪を融かして大規模な泥流を誘発した。大泥流は、北側の美瑛川と南側の富良野川とに分かれて、それぞれの谷を高速で流下した。
美瑛川を下った泥流は、まず丸谷温泉を破壊、続いて畠山温泉を襲い、温泉宿を倒壊、流失させた。このとき、丸谷温泉で3人、畠山温泉で4人が泥流に呑まれ死亡している。
一方、富良野川を下った泥流は、狭い谷に入ると、さらに速度を増して流下した。泥流の深さは40メートル以上に達し、その勢いで森林の木々をなぎ倒して、多数の流木を下流へと押し流した。大泥流は、やがて上富良野の扇状地へと氾濫し、家屋230棟を流失、100棟を破壊するに至った。とりわけ破壊力を増したのは、泥流が運んできた大量の流木であった。泥流の荒れ狂った上富良野村の惨状は、目も当てられないほどであった。家屋はもちろん、橋梁や鉄道線路なども破壊されてしまった。
泥流は、火口から25キロ離れた上富良野の原野に爆発後25分あまりで到達しているから、平均時速は約60キロということになる。
1926年5月24日に起きた十勝岳大噴火による泥流被害は、犠牲者144人、建物の損失372棟、家畜68頭、水田680町歩、畑507町歩、橋梁の破壊49カ所など、被害総額は256万円にも及んだ。現在の金額に換算すれば、80億円前後になるであろうか。
この大災害の後、十勝岳は断続的に小噴火を繰り返していたが、1928年12月には活動もほぼ終息した。十勝岳で起きたこの融雪泥流災害は、積雪期に火山が大噴火したときの脅威を改めてみせつけるものであった。
振り返ってみると、日本列島の火山では、1926年十勝岳の事例以来、90年以上も噴火による融雪泥流災害は発生していない。いわば、盲点の災害になっているといえよう。災害のパターンは必ず繰り返されることを思えば、噴火に伴う融雪泥流の発生を想定した防災対策の整備と防災意識の向上が望まれるところである。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明
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