【国土を脅かす地震と噴火】52 北伊豆地震㊦ 新幹線のルートにも影響/伊藤 和明
北伊豆地震を起こしたのは、伊豆半島の北部を南北に走る丹那断層帯の活動であった。丹那断層と、それに付随する複数の活断層が動き、地表に地震断層が出現した。
活動した断層の総延長は約35キロである。南北に伸長する丹那断層を挟んで、相対的に東側が北へ、西側が南へ動く“左横ずれ”の断層運動であり、水平変位は丹那盆地で最大約3.5メートルに達した。
地震断層の痕跡は、今も2カ所で保存されている。田代盆地の火雷神社では、石段と鳥居の間を断層が走ったため、石段の正面にあるべき鳥居が横にずれている。丹那盆地の畑地区では、ごみ捨て場だった所の石垣や水路、環状列石が2.6メートルほどずれた状態を保存しており、国の天然記念物に指定されている。
北伊豆地震が発生した1930年ごろは、ちょうど東海道線の丹那トンネルを掘削している最中であった。南北に延びる丹那断層と掘削中の丹那トンネルは、トンネルの中央部で直交するかたちになっていた。このため、トンネルの掘削工事は断層破砕帯を横切ることになり、しばしば岩盤の崩落や大量の出水に遭うなど犠牲者も出て難航を極めていた。
その最中に北伊豆地震が発生、断層が掘削中のトンネルを横切ったため、2.7メートルの左横ずれが生じてしまった。そのままトンネルの両側から掘削を続ければ、中央で横に食い違うことになる。そこで仕方なく、トンネル内のずれた部分で線路をS字状につなぎ、東海道線を開通させたのである。
時代は下って1950年代後半、東海道新幹線の建設が計画されたとき、当時の国鉄の内部から「新幹線用の新しい丹那トンネルは、かつて北伊豆地震を起こした丹那断層を横切ることになるから、高速鉄道を通しても大丈夫なのだろうか」という疑問が持ち上がった。
このとき国鉄からの相談にあずかったのは、私の恩師でもあった火山学者の久野久東大教授であった。久野教授は「次に丹那断層が活動するのは、おそらく数百年先であろう」と答えたので、計画は実行に移されたのである。その根拠を要約すれば、次のようになる。
丹那断層を挟んで、両側の地形は約1000メートル横に食い違っている。これは、過去の断層活動の累積で生じたものである。また、地質調査から、湯河原火山から噴出した約50万年前の溶岩流が、丹那断層を挟んで、やはり1000メートル横に食い違っていることが分かっていた。それは丹那断層が少なくとも50万年前から活動していたことを意味していることになる。
もし1回の活動によって平均2メートル変位すると仮定すれば、1000メートルずれるためには500回の活動、つまり地震を起こせばよい。
50万年に500回活動してきたとすれば、平均1000年に1回活動して地震を起こしてきたことになる。しかし最近は、1930年に動いたばかりなのだから、当分は安泰であろうと結論付けられた。こうして新幹線の新丹那トンネルは無事開通する運びとなり、今も多くの人々がその恩恵を受けているのである。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明
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