【国土を脅かす地震と噴火】62 新潟地震㊦ 埋立て地域に被害が集中/伊藤 和明
新潟地震による災害を特徴付けたのは、石油タンク群の火災とともに、地盤の液状化による建築物や土木構造物などの被害であった。そのため、この地震による災害は、戦後の近代都市が初めて受けた震災と位置付けられたのである。
ただ、新潟地震当時は、“液状化現象”という言葉はまだ使われておらず、行政もマスコミも“流砂現象”などと称していた。新潟地震を契機に、“液状化現象”という用語が定着したものといって良い。
液状化による被害は、新潟平野や酒田平野で広範囲に及んだ。とくに新潟市内では、多くの建物が不同沈下したり傾いたりした。1500棟ほどあった鉄筋コンクリート造りの建物のうち、310棟に何らかの被害を生じ、そのうち3分の2が沈下あるいは傾いてしまった。
信濃川の左岸、川岸町にあった県営アパート7棟が、ほとんど損傷を受けないまま傾斜し、うち1棟はほぼ横倒しになってしまった。この1棟は、横倒しになってはじめて建物の基礎をほとんど打っていなかったことが露見し、手抜き工事であるとして大問題になったのである。新潟空港では、滑走路をはじめとした空港ビル周辺の地盤で液状化が発生し、地中から大量の砂や水が噴き出るとともに、亀裂や沈下も起きたため、空港機能が麻痺してしまった。
地下に埋設された水道管やガス管などが破損したことから、水道や都市ガスなどライフラインが寸断され、市民生活を直撃した。市内全域で水道が復旧したのは地震から約1カ月後、都市ガスにいたっては、完全に復旧したのが6カ月後のことであった。
液状化で地盤そのものが水平方向に大きく流動したために、一部のビルでは、地中の支持杭がすべて折れてしまっていたという事実も、その後の調査から明らかになっている。このような現象は、地盤の“側方流動”と呼ばれ、地中の構造物に多大な影響を与えてしまうことになる。
新潟地震で顕著な液状化被害が生じた地域の分布を地図上に描いてみると、興味深い事実が明らかになった。被害の大きかった地域は、信濃川の両岸に限られ、しかもその分布は信濃川の旧河道と見事に一致していたのである。つまり、信濃川の昔の流路が、液状化という形で、ありありと再現されたといえよう。
もともと自然の川は、平野に出れば川幅を大きく広げて海へと注いでいく。信濃川も、昔は新潟平野を幅広く蛇行しつつ日本海に注いでいたはずである。
しかし都市開発を進めるに当たって、川幅が広いままでは、市街地のための十分な面積を確保することができない。そこで人間は、まず堤防を築いて、川の流れをその中に押しこめたうえ、大量の砂によって元の河道を埋め立て、町づくりを進めていく。そのようにして形成された地域に液状化被害が集中したのである。
“川”という本来“自然”に所属している環境を人間のものにしようと改変した結果、大地震の際、液状化による災害という形で、自然からしっぺ返しを喰らったということができよう。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明
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