【国土を脅かす地震と噴火】64 長野県西部地震 火山体崩壊の脅威を示す/伊藤 和明
1984年(昭和59年)9月14日の午前8時48分、御嶽山の南麓に当たる長野県王滝村の直下を震源としてM6.8の大地震が発生した。震源の深さは約2キロと極めて浅い地震で、「長野県西部地震」と命名された。
地震の被害は王滝村に集中し、全壊14戸、半壊73戸、犠牲者29人を数えた。いずれも土砂崩れに巻き込まれたものである。この地域は、御嶽火山の降下噴出物が地表を広く覆っており、その最下層に当たる軽石層が土砂崩れの滑り面になったと考えられている。
王滝村松越地区では、段丘の一部が家や道路を乗せたまま崩れ落ち、崩壊土砂が川を横断して対岸に乗り上げた。このとき、川底にあったコンクリート工場が、比高40メートルもある対岸の段丘上にまで押し上げられた。この地区だけで13人の死者が出ている。
そのような斜面崩壊のなかでも桁外れに大きく、大自然の脅威をみせつけたのは、御嶽山の大崩壊であった。地震の強い衝撃によって、御嶽山の南斜面で巨大な山体崩壊が発生したのである。
崩壊は、山頂から500メートルほど下った標高2500メートル前後の尾根の部分から発生し、最大幅750メートル、最大長1500メートル、深さ150メートルにも及ぶ馬蹄形の凹地形を形成した。崩壊した山の部分は、大規模な岩なだれとなって、王滝川の支流である伝上川の谷を流下した。崩壊によってなだれ落ちた土石の量は約3600万立方メートル、東京ドーム約30杯分に相当すると推定された。
岩なだれの一部は、崩壊地直下の谷を隔てて立ちはだかる比高100メートルあまりの尾根を乗り越えて、隣の鈴ヶ沢に流入した。その尾根の上に120トン前後もあろうかと思われる大岩が乗っていた。この岩は、崩壊した斜面の上部にみられる古い溶岩の一部が、岩なだれに乗って飛来し着地したものと考えられている。
一方、岩なだれの主要部は、伝上川の谷を高速で流下した。深さ150メートル、幅300~400メートルの谷をいっぱいに埋めて流下し、谷の側壁の森林をすべて剥ぎとってしまった。谷沿いにあった濁川温泉の一軒宿も岩なだれに呑み込まれ、その家族4人も含めて、この日ちょうど谷に入っていた釣り客など計15人が犠牲になった。
崩壊地から約12キロ流下した岩なだれは、王滝川の本流に達してようやく堆積した。その厚さは最大40メートルにも達したため、谷の地形は一変してしまったのである。その後の調査から、岩なだれの流下速度は時速80キロ前後だったと推定されている。
御嶽山のような火山体で崩壊が起きやすいのは、成層火山の場合、太古からの噴出物が斜めに積もっていて、重力的に不安定な状態になっているからである。もし噴出物層の中に粘土化した軽石層など滑りやすいものがあれば、そこから上に堆積していた噴出物は、地震の衝撃などによって容易に滑落してしまう。
御嶽山の大崩壊はそのような仕組みで発生したと考えられる。したがって、長野県西部地震による災害は、“地震に誘発された火山災害”と位置付けることもできよう。
筆者:NPO法人 防災情報機構 会長 元・NHK解説委員 伊藤 和明