【元漫才師の芸能界交友録】第7回 棚橋弘至① 同級生は“新日のエース”/角田 龍平

2019.08.22 【労働新聞】
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プロレスを通じ意気投合
イラスト・むつきつとむ

 愛国心とは、国そのものを愛する心ではないと思う。はじめに愛するひとがいて、そのひとが暮らす国だからこそ芽生えるものではないだろうか。愛校心もまた然り。かけがえのない友と出会えた場所だからこそ、ひとは母校を愛でるようになる。

 立命館大学法学部に入学して間もない1995年の春。語学の授業で先生から「隣のひとと英語で会話しなさい」といわれ躊躇していると、隣の席の純朴そうな青年がハニカミながら話しかけてくれた。

 「My hobby is pro wrestling」。

 直訳すると「私の趣味はプロレスです」。バカな大学生がいたものだが、「Me too!」と間髪を入れずに答えた私もなかなかのバカである。二人が英語の授業だということをすっかり忘れてプロレス談義に花を咲かせているうちに、90分1本勝負の授業は時間切れ。再戦を申し入れると、隣の彼はノートの切れ端に名前と連絡先を書いて渡してくれた。「棚橋弘至」。その紙片に記されていたのは後に「新日本プロレスのエース」になる男の名前だった。

 法学部に籍を置いているというのに、私はオール巨人に弟子入りして漫才師を、棚橋君は学生プロレスのリングに上がりプロレスラーをめざした。幼い頃から戦隊もののヒーローや怪獣よりもプロレスラーが好きだった私は、棚橋君に憧憬の念を抱かずにはいられなかった。その思いは、弟子を辞め、漫才師になる夢を諦めてから、さらに強まる。

 私が他の法学部生と同じように法律を生業にすべく、司法試験の勉強のため図書館に籠るようになった頃、棚橋君は体育館に併設されたジムで筋力トレーニングに明け暮れていた。中庭の木にロープを吊るし、腕力だけで木に昇る姿を目撃したこともあった。白眼視する学生もいたが、私はそれが「プロレスの神様」カール・ゴッチ式トレーニングであることを知っていた。

 過酷なトレーニングでプロレスラーと遜色のない体躯を手に入れた棚橋君は、3度目の挑戦でプロレス界の最高峰「新日本」の入門テストに合格する。夢破れて友の夢に仮託していた私は、我がことのように誇らしかった。

 やがて迎えた卒業式。いよいよ明日から新日本に入門する棚橋君に、「親は反対しなかったの?」と尋ねると、「『許す代わりにチャンピオンになりなさい』といわれたよ」と屈託なく答えて、友は京都をあとにした。

 卒業から半年が経った10月のある日のこと。就職もしないまま司法浪人をしていた私は、司法試験の論文試験に落ちたばかりで、勉強する気も起こらず、毎日怠惰な生活を送っていた。その日もダラダラとコンビニで立ち読みしていると、無名の新人レスラーのデビュー戦に異例のカラーグラビアを割く「週刊ゴング」に目がくぎ付けになった。「ゴング」が「10年に1人の逸材」と紹介していたのは、hobbyがworkになった隣の席の彼だった。

 デビューから20年。今や棚橋君は「100年に1人の逸材」と呼ばれている。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

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令和元年8月26日第3222号7面 掲載
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