【元漫才師の芸能界交友録】第19回 杉作J太郎① “パパちゃん”に興味持つ/角田 龍平
2016年3月のある夜。SNSのダイレクトメッセージを開いた私は、できすぎたシンクロニシティに吃驚した。そのメッセージは今まさに読んでいる本の作者から送られてきたものだった。私が読んでいたのは『ボンクラ映画魂完全版 燃える男優(オトコ)列伝』(徳間書店)。終電に揺られながら疲れた身体に染み入る杉作J太郎さんの文章が優しかった。
その頃、大阪の西天満で司法書士の妻と法律事務所を営んでいた私は、京都の自宅から片道1時間半かけて通勤していた。自宅といっても、登記名義は私のものではない。私は妻の実家に住むマスオさんなのである。
マスオさん歴も10年近くなると、義母が義父に風呂の掃除を頼んでいても、聞こえないふりをして居間に寝っ転がったまま放屁できるまでになった。ただ、モンスターマスオと化した今も、真似できないことがひとつある。それは妻が義父母を呼ぶときの呼称だ。妻は義父を「パパちゃん」、義母を「ママちゃん」と呼ぶのだが、気恥ずかしくて私はいまだに面と向かって呼んだことがない。
阪神ファンのパパちゃんはナイター中継をみながら、いつも愚痴をこぼしている。「精神論しかいわないねぇ、川谷拓三の解説は…」。実父になら「川藤幸三や!」と強めのツッコミを入れるところだが、パパちゃんにはそうしない。言い間違えても仕方ない特殊事情があるからだ。
パパちゃんこと土橋亨は、かつて東映京都撮影所で映画監督をしていた。1998年に刊行された『仁義なき戦い 浪漫アルバム』(徳間書店)で、杉作さんのインタビューを受けたパパちゃんは、助監督を務めた『仁義なき戦い 代理戦争』の撮影秘話を語っている。
「拓ボン(川谷拓三)が『代理戦争』で大抜擢された時もね、いろいろあったんだよね。本当は別の役者さんが決まってたんだけど、作さん(筆者注:深作欣二監督)がどうしても拓ボンで行こうっていうんで一度、呉にロケに行ってから撮り直してね、アップの部分だけ」。「引きの絵は別の俳優さんなんだよね。で、呉に撮影に行ってる間、俺が拓ボンを預かったんだけどね。一日目、夏目漱石の『坊っちゃん』渡して『感想文書いてこい』って。主人公の生い立ちを考えてこいよって。そしたら不安そうに『坊っちゃん』抱えて行ったわ(笑)。そして翌日に台本渡して、今度は台詞を覚えるんじゃなくて、この男の履歴書を書けと。これ大事な事や。そして、三日目に、自分の出てないシーンの自分の行動を全部書いてこいと」。
杉作さんと初めて会ったのは9年前の秋だった。杉作さんと吉田豪さんのトークイベントを観覧した私は、同伴していた妻と打ち上げに参加した。その席で、妻と東映映画の話で盛り上がった杉作さんは、実録ヤクザ映画の熱い時代を生きた男が家庭では娘から「パパちゃん」と呼ばれていることを面白がった。
それから5年半が過ぎ、杉作さんから送られてきたダイレクトメッセージには、パパちゃんと共に東映京都を語るイベントに登壇してほしいと書かれていた。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平