【元漫才師の芸能界交友録】第22回 杉作J太郎④ 男たちの“胆力”を指南/角田 龍平
「土橋さんに聞いておいていただくと助かるのですが、前に聞いた石立さんが殺される場面の淡路島の港、明後日の早朝に写真を撮りにいこうと思っております」。
東映京都撮影所で監督をしていた岳父土橋亨を訪ねて、杉作さんが京都へやって来たのは2年前の夏だった。翌年の春、杉作さんから「石立さんが殺される場面」の撮影現場を尋ねるLINEが送られてきた。土橋が別班監督を務めた『激動の1750日』で、石立鉄男演じる組長が射殺された港はどこなのか。
「そう、本当に淡路島。東浦なんだよな。オアシスから一般道に出て少し行くと久留麻。そこの港。その先に仮屋、そこも港、どちらかなんだよ」。土橋が30年前の朧気な記憶にしたがい印を付けた地図の写真を添付して、杉作さんに返信した。
2日後。杉作さんは土橋のいうとおり久留間と仮屋をくまなく捜索したが、撮影現場を特定するには至らなかった。凡庸な人間は杉作さんのこだわりを理解できないかもしれない。しかし、細部にこだわることでみえてくるものがある。杉作さんの慧眼は、映画の一場面あるいは一言のセリフから、その俳優の人格を立体的に浮かび上がらせる。『ボンクラ映画魂完全版 燃える男優(オトコ)列伝』(徳間書店)の石立鉄男に関する記述を引用したい。
「そもそもが相当男気溢れる人のようだ。NHKの生ワイド『スタジオパークからこんにちは』に出演した際、北海道から直送されてきた馬鈴薯で作った料理を食べて、『しつこいなァ……』と顔をしかめたのである。生産者の人たちが見ている手前、何とか『おいしい』と言わせたい司会者が少し皮肉めいたことを言った。すると男・石立鉄男は言い捨てた。『じゃあ、ナニ食べてもうまいって言えばいいワケ?』」。
杉作さんがラジオで話していた野球解説者・谷繁元信のエピソードも忘れがたい。
「神宮球場のヤクルト対ドラゴンズのね、10対0をヤクルトがひっくり返した試合。そのときに球場全体が沸き返って騒いでいる中で、興奮したアナウンサーが『谷繁さん、いかがですか?』といったら、谷繁が『皆さんは、何対何の野球が面白いとお考えですか?』とそっと置いたようなしゃべり方で水を差したんですよ。その時点で『谷繁、やっぱり他のひとと違う道来てるわ』と思ってね。アナウンサーが『8対7が面白いと世間ではいわれておりますが』というと、谷繁は『それはルーズヴェルトゲームと呼ばれていて、あくまでアメリカのルーズヴェルト大統領が面白いと思う点数です』とにべもない。『じゃあ谷繁さんは何対何が面白いとお考えですか?』ってアナウンサーが聞いたら、谷繁は『私は0対0の投手戦です』といったんです。いやー、谷繁やったなと思ってね」。
コメンテーターとして出演したテレビで、スタジオの同調圧力に抗えず、罪と罰の均衡を失する批判に晒されているスケープゴートを弁護できなかったとき、いつも思うことがある。「杉作さんが教えてくれた石立鉄男と谷繁元信の胆力が、もしも私にあったなら」。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平