【元漫才師の交友録】第49回 サカイのオジサン① 新型コロナ最前線で奮闘/角田 龍平
数年前、中高時代の恩師から「鉾建てが終わらないうちに梅雨が明けました」という時候の挨拶で始まる暑中見舞いが送られてきた。厄災をもたらす厄神を鎮めるべく34基の山と鉾が京都の中心部を練り歩く祇園祭の山鉾巡行が今年は行われない。そればかりか、山鉾建ても自粛を余儀なくされた。もはや季節のない街と化した京都を囲む山に火を灯す五山の送り火はかろうじて行われる。例年ならお盆に先祖の霊をあの世へ送るため「大」の字が灯る大文字山には、「大」の字の中心部と頂点の6カ所のみ点火される。6つの点をみて夏の終わりを感じるのは、星座のごとく点を線で紡ぐ想像力を持つ者だけだ。
祇園祭の宵山と五山の送り火に女子と行けるか。京都市内の中高一貫制の男子校に通っていた私にとって、それが最大の懸案事項だった。しかし、このミッションはいつも未遂に終わった。いや、未遂というのは誇大表現だ。刑法上の未遂とは、実行行為に着手したものの、結果が発生しなかった場合を指すが、そもそも女子を誘うことさえしていなかった。同じ学校に通う友人と妄想の域を出ない共謀をしていただけだった。
2階のベランダから大文字山がみえる妻の実家に転がり込んだ9年前から、五山の送り火の日には、高校時代に共謀していた悪友たちとその家族で集まり宴会をするようになった。悪友だなんて見栄を張るのはやめよう。私たちは武勇伝が何一つない武勇伝貧乏だった。Kは遠足で行った万博公園で、他校のヤンキーから「そのフリスビーを渡せ」と迫られ、苦し紛れに「一緒にフリスビーをしよう」と和解案を持ち掛けた。今も仕事で和解を模索する時、万博公園でKが提案した折衷案を思い出す。少年事件の付添人として少年に寄り添うつもりで「昔は随分ヤンチャをしたから気持ちは分かるよ」という時、私の目は泳いでいるに違いない。
「サカイのオジサンはどう?」。先月初旬、『角田龍平の蛤御門のヘン』出演のため、KBS京都ラジオへやって来たMにラジオネームを命名した。2年前の五山の送り火の日に、小学生になったばかりの友人の息子から「ユーチューバーのサカイのオジサンですよね?」と突然いわれたMは、謎のユーチューバー「サカイのオジサン」になりすまして喜ばせた。医学部を出て医師になってすぐに結婚したMは、中学生の息子が二人いるので、男の子の扱いならお手のものだ。Mから近況を報告するLINEが送られてきたのは、収録の1週間前のことだった。スマホを握りしめたまま、私はしばらく絶句した。
安倍首相が、7都府県を対象に緊急事態宣言を発令した4月7日。Mが勤める病院は、急遽大阪府から2日で40床の新型コロナ専用病棟を作るよう指示された。専用病棟になる病棟の入院患者は、翌日までに全員が別棟へ移動しなければならない。陰圧室の工事も1日で行う必要があった。防護服の脱着方法を誰も教えてくれないので、ユーチューブをみて確認するしかなかった。Mから送られてきたLINEには、最前線での激動の50日が綴られていた。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平