【元漫才師の交友録】第57回 花房観音③ 文壇タブーと勝谷誠彦/角田 龍平

2020.09.17 【労働新聞】
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勝谷さんの家には小説のプロットが残されていた…
イラスト・むつきつとむ

 “ミステリーの女王”山村美紗さんの評伝を書こうとした花房観音さんに立ち塞がったのは、「文壇タブー」の厚い壁だった。山村美紗さんを題材にノンフィクションを書こうとすれば、京都の東山に並んで居を構えていた西村京太郎さんに触れざるを得ない。しかし、累計発行部数が2億部を超える“トラベルミステリーの第一人者”の私的領域に踏み込むことは、出版界の禁忌だった。誰も虎の尾を踏もうとしなかったため、山村美紗さんの評伝が世に出ることはなかった。

 もっとも、西村京太郎さん自身は、山村美紗さんをモデルにした小説『女流作家』を刊行し、その中でふたりが恋仲にあったことを匂わせていた。ただし、インタビューで山村美紗さんとの関係を問われると、恋愛関係を認めることもあれば否定することもあり、その姿勢は一貫していない。裁判実務では不合理に変遷する供述の信用性は低いとされているが、その都度変わる西村京太郎さんの発言の真偽に触れることは「文壇タブー」が許さなかった。

 それゆえ、花房さんは、山村美紗さんの評伝を執筆していることを過去の作品の担当編集者にも伏せていた。紆余曲折の末、『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』(西日本出版)の出版が決まり、「西村京太郎さんのことでご迷惑をお掛けしたらごめんなさい」と打ち明けると、編集者のひとりはいった。「でもね。作家として、それだけ書きたいものがあるのは幸せなことですよ」。

 花房さんには、書きたいものが数多あるのに形にできないまま、この世を去った友人がいた。「勝谷誠彦さんの家に形見分けに行ったら、大量の小説のプロットが残されていたんです」。花房さんからそう聞かされたのは、2年前の秋だった。コラムニストやコメンテーターとしての印象が強い勝谷さんだが、本当は小説家になりたかった。『京都に女王と呼ばれた作家がいた』には、勝谷さんに言及した箇所がある。「小説に殺された、と思った。彼は少年時代から小説家を志し、純文学の道に進み、芥川賞をとりたかった。純文学の文芸誌に載った渾身の一作は、賞の候補にもならず、彼はそのことにひどく傷ついた」。

 「小説に殺された男」が晩年懇意にしたのが、「小説に生かされた女」だった。兵庫県豊岡市で生まれた花房さんは、過剰な自意識に苛まれ、どこにも居場所のない学生時代を過ごした。東山のお嬢様大学を中退した後も京都を離れずにいたところ、自分を唯一受け入れてくれると信じた二回り近く年の離れた恋人の口車に乗せられて、消費者金融で借金を繰り返した。恋人からのモラハラと借金苦で、言葉を発することさえできなくなり、「死にたい」と唱え続けた。みるにみかねた田舎の両親によって実家へ強制送還されると、朝から晩まで工場で働いた。地獄をみた女が、処女作『花祀り』で第一回団鬼六賞を受賞して世に出たのは、39歳の時だった。勝谷さんが終ぞなしえなかった、書きたいものを形にすること。それが、「小説に生かされた女」の生きる道なのだ。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

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令和2年9月21日第3273号7面 掲載
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