【元漫才師の交友録】第60回 スペース③ 母と息子の捜査線/角田 龍平
2009年春。巨大掲示板2ちゃんねるにできたラジオ番組『角田龍平のオールナイトニッポンR』の掲示板は、同一人物と思しき熱烈なファンの書き込みによって埋め尽くされていた。よく分からない法則でスペースキーを叩いて歪な空白を作る書き込みの主は、いつしか掲示板で「スペース」と呼ばれるようになっていた。
〈角田 先生の横に円 広志(まどか ひろし)さんもおられた。角田 先生の笑みをたやさないやさしい人柄がよく でていて「角田 龍平 先生のオールナイトニッポンR」のファンとしてうれしかった。最高!!〉
私が出演した読売テレビの情報番組の感想を書き込んでいることから、どうやらスペースは関西在住らしい。
『オールナイトニッポンR』は土曜の深夜3時から4時半までは全国22局ネットで放送していたが、4時半以降は北海道のSTVラジオ・栃木放送・茨城放送・KBS京都・九州朝日放送の5局だけしか流れていなかった。スペースは4時半以降の投稿コーナー「ニートの哲学」の終了を惜しんでいた。
〈ニートの哲学も聴くほどに毎回 奥が深いので、深夜4時30分以降の放送は前半に 前倒しでも結構 人気のでたコーナーのはずです。かつてニートのような生活をしていた 角田が読むから よけい 良かった〉
関西ローカルのテレビが視聴可能で、かつ4時半以降の『オールナイトニッポンR』を聴取できるのはKBS京都の放送区域のみである。したがって、スペースは京都府民であることが推認できる。このようなプロファイリングを積み重ねた結果、スペースの正体が判明した。
結論からいうと、スペースは63歳になる私の父だった。最も有力な状況証拠は、新人弁護士の分際でメディアに出演するようになった私を心配して、父が初めて寄越したメールの文面だった。
〈龍平君 初心の 初々しさを いつまでも 忘れないで 弁護士の基本業務は確実にこなして 下さい〉
私は父の自白を得るために、京都の実家へ架電したが、生憎父は就寝していた。母に父の容疑を告げると、「お父さん親バカやけど、さすがにそこまでしないわ」と夫を庇う供述をした。「親バカってどういうこと?」と尋ねると、「お父さんは、あんたが漫才をやっていた15年前の新聞記事も全て保存している」と耳寄りな情報を提供してくれた。スペースはこんな書き込みもしていた。
〈角田さんは 島田紳助、オール巨人から漫才の非凡なセンス を買われた。「おおかみ少年」のコンビ名で 今宮えびす新人漫才コンクールで大賞に 輝く。「高校3年生の角田 龍平に紳助・巨人もマイッタ」と当時の 日刊スポーツ に大きく 報じられた〉
母は「明日の朝、それとなくお父さんに聞いてみるわ」といい残し、電話を切った。
寝つきの悪い夜だった。翌朝、私は母から届いたメールの受信音で目を覚ました。
「お父さんに聞いてみました。否定しましたが、お母さんには分かります。スペースはお父さんです」。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平