【元漫才師の交友録】第68回 エムカク(明石家さんま研究家)/角田 龍平

2020.12.03 【労働新聞】
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イラスト・むつきつとむ

 2020年11月22日。日曜日の夕刻に家族と京都市動物園にいた私のSNSに、「明石家さんま研究家」エムカクさんから写真を添付したメッセージが届いた。

 突如泣き出した父の顔を3歳の娘が訝し気に覗き込んだ。動物園で感動の涙を流す中年男は滅多にみかけない。他の来園者の目には、無類の動物好きと映ったようだ。「令和のムツゴロウ!」「和製シートン!」とでもいいたげな周囲の視線に構うことなく、エムカクさんに返信した。「今日ですべてが報われましたね。おめでとうございます」。

 遡ること2日前。『明石家さんまヒストリー1 1955~1981「明石家さんま」の誕生』(新潮社)の出版記念イベントが大阪のライブハウスで行われ、私も登壇した。イベントでは、エムカクさんが収集したさんまさんの秘蔵写真を紹介しながら、「お笑い怪獣」と呼ばれる男の萌芽期に当たる1955年から1981年の出来事を振り返った。さんまさんの生家の写真をスライドに映しながら、当然のように「さんまさんは安産でした」と口火を切ったエムカクさんの「明石家さんま怪獣」ぶりを来場者に伝えるのが私の役回りだ。

 一度も宿題をしたことのない怠惰な学生時代を過ごしたエムカクさんが、自らに生涯の宿題を課したのは1996年3月23日のことだった。同日に放送された『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)でさんまさんはいった。「私は、喋る商売なんですよ。本を売る商売じゃないんですよ。喋って伝えられる間は、できる限り喋りたい。本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」。

 さんまさんが喋る言葉を記録しなければならないという使命感に衝き動かされて、エムカクさんは『明石家さんまヒストリー』の原型となるノート作りに着手した。その数は数百冊に上るが、日の目をみることはないはずだった。ところが、さんまさんへの節度のない熱意と愛情に溢れるツイッターが芸界の史家である水道橋博士の目に留まり、エムカクさんの人生は一変する。博士の主宰するメールマガジンで『明石家さんまヒストリー』の連載を始めると、「博覧強記の明石家さんま研究家が大阪にいる」と業界関係者の間で噂になり、さんまさんが司会を務める特番にリサーチャーとして加わるようになった。

 昨秋、エムカクさんは『明石家さんまヒストリー』を書籍化するに当たり、大阪での番組収録を終えて新幹線で帰京するさんまさんを訪ねた。「『明石家さんまヒストリー』という本の出版をお許しいただけないでしょうか」。

 「本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」というさんまさんが「止めてくれ」というのなら、本は出さないつもりでいた。しかし、エムカクさんの心配は杞憂に終わった。さんまさんは自分が喋った言葉を編むことに人生を捧げた男へ、これ以上ない優しい眼差しを向けた。「あー、それはお前のやからな。お前の勝手にしたらええよ」。

 1年後。さんまさんとエムカクさんは一冊の本をふたりで手に取りながら、一葉の写真に収まっていた。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

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令和2年12月14日第3284号7面 掲載
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