【元漫才師の交友録】第69回 細田昌志① 沢村忠の本が話題に/角田 龍平
2020年11月某日。その日は朝から法律事務所で、カバーを外した重厚な書物を読み耽っていた。隣のデスクで働く司法書士の妻は、法学者の書いた会社法だか民事訴訟法の法律書を調べていると思い込んでいたらしい。妻が仕事を終え帰宅してから8時間後、ようやく大著との格闘を終えた私は、深夜の事務所でひとり快哉を叫んだ。「細田さん、すげえ!」。
細田昌志さんが著したノンフィクション『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)が、各界の目利きから激賞されている。〈おそろしくパンチの効いた連続KOな本が出たものだ。560ページもあるだけで凄いのに、1ページがすべて2段組み。書き込んでも書き込んでも収まり切らない、他人(ひと)は知らない濃厚な男の人生がそこにはあった。あの時代、男の子達の心をキャッチした最強の男と、その男を作り出した男のドキュメント〉(週刊ポスト「笑刊ポスト」)と評したのは、“真空飛び膝蹴り”で一世を風靡したキックボクシングの沢村忠と同時代を生きた高田文夫先生だ。
プロインタビュアーの吉田豪さんは、〈沢村忠と五木ひろしをスターに仕立て上げたかと思えば、栄光の座から没落していったプロモーター・野口修。そんな男の評伝って時点で世間のニーズを無視しているのに、その父親・野口進の人生から掘り下げているのもどうかしてる一冊〉(ゴング格闘技「新☆書評の星座」)と紹介した。
野口進は、「ライオン」の異名を持つ日本ボクシング界黎明期の人気ボクサーだった。プロスポーツ選手の副業といえば、板東英二が中日ドラゴンズに入団する契約金で老夫婦の経営する牛乳販売店を買収した話がつとに有名だ。ところが、野口進の場合はそんな生易しい話ではなく、国内屈指の人気ボクサーが右翼団体に属していたのだから穏やかではない。しかも、昨今ネット上に跋扈するようなウヨクではなく、大物政治家の暗殺を目論む右翼だった。
1933年、野口進は元首相である若槻礼次郎暗殺未遂事件に関与して投獄される。府中刑務所では、戦後日本の黒幕として暗躍する児玉誉士夫と邂逅を果たす。出獄後は、中国で「児玉機関」を立ち上げた児玉誉士夫に請われて家族で上海へ移住。日本から有名歌手を招いて上海駐留の日本兵相手に慰問興行を催す「野口興行部」を設立する。
『沢村忠に真空を飛ばせた男』は、野口興行部の設立までに56ページを割いている。表題の沢村忠がようやく登場するのは、物語の中盤に差し掛かる274ページだ。このような構成になっているのは、細田さんが枝葉末節に拘っているからではない。父の人生を詳らかにすることなく、「野口修は沢村忠と五木ひろしを擁してプロスポーツと芸能で天下を取った」と記したところで、単なる結果論に過ぎない。原因と結果の因果関係を精緻に証明するのがノンフィクションの醍醐味であり、「神は細部に宿る」ことを同書は教えてくれる。最後に、本稿の細部である板東英二云々は枝葉末節という他ないことを付言しておく。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平