【元漫才師の交友録】最終回 細田昌志② 真実を求めてタイへ/角田 龍平
2020年12月9日。元プロレスラーのキラー・カーンさんが女性を自転車で轢き逃げした容疑で書類送検されたというネットニュースを読んで、7年前の秋の夜のことを思い出した。
その日、東京へ出張していた私は、旧知の友人2人と新宿の居酒屋で飲んでいた。そこへ遅れてやって来たのが、細田昌志さんだった。構成を担当しているテレビ番組の生放送後に駆け付けた細田さんは、初対面の私に番組で使った“阪神黒歴史・伝統のお家騒動記”“島倉千代子 壮絶借金遍歴”と書かれた2枚のフリップを手交した。珍しい東京土産に気を良くした私が、細田さんらと球界・芸界のゴシップを肴に盛り上がる様子を、厨房から静かにじっとみつめる大男がいた。キラー・カーンさんだった。
キラー・カーンこと小沢正志さんは、1947年に新潟県燕市で生まれた。日本人離れした195センチの体躯を活かし、角界を経て1971年に日本プロレスに入門。1973年に付き人をしていた坂口征二に連れられ、アントニオ猪木の新日本プロレスへ移籍。1979年に武者修行先の米国で、辮髪に髭をたくわえた“蒙古の怪人”キラー・カーンに変身。223センチの“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの足の骨をへし折り、メインイベンターへとのし上がる。
凱旋帰国後は、日米を股にかけ、トップレスラーとして活躍。1987年に引退した後、新宿で「居酒屋カンちゃん」を開店。店にはプロレスファンが詰めかけ、店主を質問攻めにするのが常だった。ところが、その夜、店を訪れた4人連れの男性客は、自分たちの話に夢中で店主を顧みようとしない。業を煮やしたキラー・カーンさんは、自ら私たちに近づき声を掛けた。「坂口さんの裏話を聞きたくないか」。
“蒙古の怪人”をやきもきさせるほど初対面で意気投合してから7年後の秋。京都の町家の居酒屋で、『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を出版したばかりの細田さんの10年にわたる取材の労苦をねぎらった。2段組みで560頁からなる同書は、“キックの鬼”沢村忠を発掘してキックボクシングブームを巻き起こした野口修の評伝であると同時に、細田さんの分厚過ぎる名刺である。
“真空飛び膝蹴り”で怒涛の100連続KO勝ちを飾った子供たちのヒーローの名を、半世紀経った今、ネットの検索窓に入れると検索予測に「沢村忠 八百長」と表示される。昨年、細田さんはネットが教えてくれない真実を求めてタイへ渡り、50年前に沢村忠と戦った選手を捜索して取材を敢行。そのスリリングな取材の一部始終が、同書の見せ場の一つになっている。細田さんは卓越した取材力と情念迸る筆力で、沢村忠とその生みの親の栄光と挫折を描き切った。
同書を読むまで存在すら知らなかった野口修の陰影に富んだ人生から目が離せなくなった私は、夢中で頁を捲り続けた。もっとも、同書の影響を受け、キラー・カーンさんの人生の陰影を描こうとして奏功しないまま本連載の幕を閉じるのは些か心残りである。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平